朝起きて朝食を食べる。排尿痛はまだあり、一番痛い時を10として2くらい。片づけをしたり、テレビを見たりして退院を待つ。
9時30分頃、コーディネーターさんが来てくれた。コーディネーターさんとはこれでもう会うことはないんだなぁ…。骨髄提供は2回で卒業だし。思い起こせば前回、2004年の骨髄提供の時からずっとお世話になっている。2006年、2010年と患者さん理由でコーディネート終了になった時もお世話になった。今回が4回目のコーディネートだった。
いつもやさしい笑顔とやさしい声で対応してくれる、どんな時でも気配りを忘れない素敵な人だった。聞き上手で、こちらの不安な気持ちをうまく聞き出してくれた。いつでもドナーに寄り添ってくれる僕らのサポーター。コーディネーターさんがいなかったらどれだけ心細いか。何の不安もなく骨髄提供ができたのもコーディネーターさんのおかげです。これで会えなくなるなんて本当に寂しいです。今までありがとうございました。
…と、本人に言えたらどんなに良かっただろう。結局、本人を前にするとうまく感謝を伝えられない、口べたな自分…。コーディネーターさんとの思い出と、感謝の言葉しか言えなかった。
10時頃先生がやって来た。血圧などを測りながら体調を聞かれる。先生に、ぜひカテーテルなしで骨髄採取ができるように、とお願いする。カテーテルに関しては麻酔科の医師の判断になってしまうので、難しいところもあるけど、ドナーへの負担はできるだけ減らしていくように努力する、と言ってくれた。若い先生っていいな。その若い力でドナーに負担の少ない、より良い方法へ変えていってください。よろしくお願いします。
術後健診の予定を決めて、退院許可が出る。しばらくしてカミさん登場。荷物を車いすにくくりつけて、眼下の我が家へ。家に着いてしばらくしてリストバンドが付けっぱなしなことに気がつく。最初はあれだけ気になったのにな…。少し寂しさを感じながらリストバンドを外した。
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骨髄バンクでは2回骨髄提供をしたドナーは、今後のコーディネート方針が決定するまで登録が保留となります。コーディネーターさんの話だと「末梢血幹細胞」提供が普及すると規定が変わるかも、と言っていたけど、今のところは2回まで。なぜ制限するかというと、特定の人ばかりに負担が掛からないように、という配慮があるらしいです。僕は97年に登録をしてからドナーに選定されたのが5回、平均すると3年に1回の割合でオレンジの封筒が届いていたことになります。日本人に多くあるHLAのタイプなのでしょうか。必要としている人がいるならぜひ提供したいと思いますが、そういう訳で今のところは提供できません。なんだかちょっとお払い箱になった気分…なんちゃって。でもせっかく2回の体験をさせてもらったのだから、この体験を活かしたいと思いました。拙文ですが、これから骨髄採取を受けるドナーさんの一助になれたらうれしいです。
(おわり)