■入院4日目 ~退院~
7:00AMに起きる。入院中はずっと晴れだった。朝日が気持ちいい。顔を洗って、お茶をもらいにナースステーションまで歩く。もうほとんど普通の歩幅で歩ける。痛みもほとんどなし。椅子に座っても気にならない。朝食を食べ、歯を磨き、することもないので、帰り支度をボチボチと。なぜか一抹のさみしさが・・・。「終わってスッキリ、退屈な日々よサヨウナラ」、ではないのか。・・・ないらしい。たぶん一生に一度あるかないかのことだから(骨髄提供のチャンスは2回)、「終わった」というより「終わってしまった」という気分なんだろうか。「一話完結アニメの最終回」的なさみしさと言えばいいのだろうか。コーディネーターさんが日曜の朝だというのに、訪ねてきてくれた。先生もガーゼ交換と消毒液を持ってきがてら最後の挨拶。先生「先ほど気付いたんですが、もしかして手術日って誕生日だったんですね?」 僕「ええ、実は。全くの偶然ですが。」 看護師さん「じゃあ、誕生日にプレゼントをもらうんじゃなくて、逆にプレゼントをあげたってことですね」 僕「いや、こんな体験させてもらったことが僕にとって何よりのプレゼントです」。気持ちが高揚しているのか自分とは思えないセリフが・・・。
さぁ、これでみんなそれぞれの仕事に戻っていく。まさに一期一会。みんなと握手したい気持ちになった。「またどこかで会おう、チームメイト!」(言わなかったけど)。皆さん、やさしい笑顔、暖かい言葉、心遣い、本当にありがとうございました。12:00PM過ぎカミさん到着。昨日に引き続き、荷物持ちとして来てもらった。さすがに重い荷物を抱えて帰る気にはなれない。どうせ電動車いすだし、いいよね?
「骨髄移植をすれば助かる命」があります。僕らが少しの痛みに耐え、少しの時間を割くことができれば救われる命があります。あなたならどうしますか?その命が家族や友人のものだったらどうしますか?誰だか分からない見ず知らずの命だったらその気持ちは変わりますか?想像力を働かせれば、誰だか知らないその人は、知ってる誰かに変わります。僕の場合、患者さんは女性・30代・中部地方在住ということでした。「結婚してるのかな?子供はいるのかな?何をしている人なのかな?」と、その人の生活を想像しました。僕の骨髄を移植すれば患者さんは元の生活に戻れる。一人の命が救われるだけでなく、患者さんの家族や友達、多くの人が悲しみに出会うこともなくなる。この歳になってようやく僕も少しだけ人の役に立つことができた。この移植のために僕はこの歳まで生かされてきたんだなと感じました。そして患者さんや家族の人が「一致するドナーが見つかった」と知らせを聞いた時の喜びを想像すれば、それだけで少しの痛みなんて全然へっちゃら平気に思えてきます。患者さんの苦しみと比べたら塵のようなものです。
一日も早く患者さんが元気になって、元の生活に戻れますように。
~北海道庁の広報番組で、冒頭部分に僕の文章が使われています~
つなげよう命 骨髄バンクにドナー登録を
【第2回提供】一日目(入院日)へ